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Collection

常設展示室について

市原湖畔美術館では、日本を代表する版画家であり、市原市名誉市民である深沢幸雄の作品(銅版画、ガラス絵、パステル画、書など約500点)を中心に収蔵展示を行っています。常設展示室では、年に4回の展示入れ替えをしながら、市原市が収蔵する作品を紹介しております。

深沢幸雄について

深沢幸雄[1924-2017]

深沢幸雄は1924年山梨県に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、咲子夫人の実家のある市原市鶴舞に移り住み、アトリエをかまえ、生涯にわたって旺盛な制作活動を続けました。1955年に独学で銅版画に着手して以降、多くの技法を開拓し、幾度かその作風を変化させながらも、一貫して「人間」をテーマに制作を続け、1300点を超える作品を発表しました。国内外の多くの展覧会に出展し、受賞を重ねるとともに、紫綬褒章、メキシコの文化勲章であるアギラ・アステカ等も受章しました。その作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)、ボルティモア美術館、メキシコ国立版画美術館、ケルン文化会館、ウフィツィ美術館、チェコ国立近代美術館等、国内だけでなく海外の美術館にも所蔵されています。

深沢幸雄[1924-2017]

1924年山梨県南巨摩郡増穂町に生まれる。父親が朝鮮総督府の官吏であったため、生後すぐに朝鮮半島に渡る。
1937年忠南太田中学校入学。友人宅で『世界美術全集』を目にし、美術教師の影響で油絵を始める。日中戦争始まる。
1942年東京美術学校(現・東京藝術大学)工芸家彫金部予科に入学。
1945年東京大空襲で右膝に打撲傷を受ける
1947年小島咲子と結婚、媒酌人は川路柳虹
1949年東京美術学校卒業
1950年義父小島佐四郎の勧めで市原市鶴舞に移住
市原第一高等学校に勤務しながら、油彩を続ける
1953年「自由美術家協会展」に油彩画200号作品入選
1954年独学で銅版画を始める
1955年「自由美術家協会展」銅版画入選
1957年日本版画協会賞受賞
1958年装丁装画を担当した川路柳虹の詩集『波』が芸術院賞受賞
1959年千葉県美術展審査員(以後10年間)
1963年メキシコ国際文化振興会の依頼によりメキシコで銅版画の技法を伝える
1975年日本版画協会理事
1977年現代日本美術展審査員、多摩美術大学非常勤講師
1978年日本国際美術展国内公募部門審査員
千葉県立市原高等学校退職
1981年動ベルソー「チンタラ一世」制作
1986年日本美術家連盟委員、多摩美術大学教授就任
1987年紫綬褒章受章
1990年日本版画協会理事長(~1994年)
1992年山梨県文化功労賞受賞
1994年メキシコ国文化勲章アギラ・アステカを受章
1995年勲四等旭日小綬章受章
2000年「市原ゆかりの作家深沢幸雄展」サンプラザ市原にて開催
2009年「深沢幸雄展 悠久の時を超えて」市原市水と彫刻の丘にて開催
2010年「銅版画の名手 深沢幸雄展」
笠岡市立竹喬美術館、東大阪市民美術センターにて開催
2013年市原湖畔美術館の常設展示室内に記念室を開室
第16回山口源大賞受賞
2014年「深沢幸雄展―銅版が奏でる詩―」市原湖畔美術館にて開催
2016年市原市名誉市民の称号を贈られる
2017年逝去(92歳)

主な作品

銅版画との出会い [1954年ころ~1960年ころ]

東京美術学校を卒業後、1950年に義父の勧めで千葉県市原市にアトリエを構え、地元高校に美術教師として勤務する。この頃から油絵の制作に取り組み、自由美術展にも出品していたが、翌年、東京大空襲で受けた打撲傷がもとで結核性関節炎を突如発症する。以後6年間、右膝をコルセットで固めた生活を余儀なくされる。
これまで取り組んできた大型の油画の制作を不本意にも断念した深沢は、1954年に小品で且つ大学時代に培った彫金技術が活かせる銅版画を独学で始めた。

《骨疾》/1955年

ダンテ『神曲』〈地獄編〉より《ブルネット・ラティーニ》/1956年

《笑いの底》/1961年

メキシコとの出会い [1962年ころ~1970年ころ]

1962年、第5回現代日本美術展版画部門 優秀賞受賞を機に、メキシコ国際文化振興会の依頼を受け、3ヶ月余りメキシコ・シティを滞在し、銅版画の指導を行った。あらゆる技法の探究者である深沢の講習・実演は、当時エッチングとアクアチントしかなかったメキシコの銅版画界に大きな衝撃を与えた。滞在期間中、マヤ、アステカの古代文明に触れ、生命感にあふれたメキシコの地に強い衝撃を受けた深沢は、帰国後、新しい画風の導入に精力的に取り組み始める。これまでの繊細なモノクロームの世界に代わり、民衆のエネルギーを抽象図形や記号色彩の組み合わせ、さらに銅板の大胆な切り抜きや、色彩版画の技法獲得により、力強い作風へと移行していく。

《青い假面》/1964年

《楯》/1967年

《窓》/1972年

メキシコ再訪[1974年ころ~1980年ころ]

1974年に個展開催のため、深沢は11年ぶりにメキシコの地を踏む。この再訪で、古代マヤ文明の遺跡やインディオの村落を意欲的に取材した深沢は、作品タイトルに「影」を多用するようになる。これは、メキシコに今なお残る、スペインによる侵略の闇を意味している。

《海の火花》/1974年

《影(メヒコ)A》/1974年

《地母神A》/1978年

後期から晩年[1980年ころ~2010年ころ]

1980年代に入ると作風はまたも大きな変化を遂げる。画面のモチーフは、遠きメキシコの歴史から作家自身をとりまく身近な対象へと変化し、仮想空間の中で抽象化された人間がどこかユーモラスな存在として描かれている。また、技法に関しては、滑らかなマチエールを創り出すメゾチント技法を主流としているが、1991年頃からは、そのメゾチント技法も影を潜め、試行錯誤や実験の連続の末に開発してきたあらゆる技法を総合的に用いている。

《城郭の中の人》/1983年

《紫煙》/1993年

《青い林檎》/2006年

自動目立て機「チンタラ一世」

常設展示室には、深沢幸雄の後期の大型メゾチント作品制作に大きな役割を果たした自動目立て機が展示されています。メゾチントとは、銅版画の技法のひとつで、ベルソーという櫛目状の刃をもつ道具を用い、銅板に刃をあてて縦、横、斜めと規則正しく揺り動かして版の下地をつくります。この「目立て」と呼ばれる作業は、通常手で動かしながら進めますが、非常に骨の折れる仕事であるため、大型の作品の制作や量産することはほとんど不可能です。そこで深沢は、刃渡り20㎝ほどのベルソーが自動で目立てをするロボット「チンタラ一世」を発明し、メゾチント版画の革新ともいえる版の量産と大型化に成功しました。

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23年度第1期深沢幸雄と見るダンテの世界

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