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大放談‼「市原にアナザーワールドはあるのか?」開催の様子

「大放談‼『市原にアナザーワールドはあるのか?』」レポート

レポート2026.06.12
「暗闇をくぐってみたら」Part 1 竹内公太展「のののののまつり」の関連企画として、 “市原を知り尽くした人々”——歴史に詳しい方々や、まちづくり・文化活動に携わる方々を迎え、知られざる市原の“アナザーワールド”をめぐり、会場の参加者も交え、活発な意見が交わされました。

開催日時:5月2日(土)13:30~15:00
参加者:竹内公太(アーティスト)、松本靖彦(南市原里山連合会長)、征矢貫造(加茂城宿主)、丸房代(エッセイスト、「更級日記千年紀文学賞」受賞者)、三原茂(市原市遺族会 加茂地区支部長)※敬称略
モデレーター:前田礼(館長代理)

市原はゆたかな地

前田:市原湖畔美術館は2025年末から大規模改修に入っていますが、部分開館という形で5か月ぶりに企画展を開催することになりました。それがこの「暗闇をくぐってみたら」という連続個展シリーズです。普段は閉じているミュージアムショップ奥の開口部を開き、トンネルに見立てて展示室に入っていく設えになっています。トンネルをくぐった先に、アナザーワールド――いつもとは違う世界が広がっている。そういった展覧会ができないかということで、Part1として竹内公太さんに展覧会をお願いすることになりました。
 今日は竹内さんが約4ヶ月にわたって市原で滞在制作をされていた間にお世話になった方々、そしてこの市原を知り尽くしている方々にご参加いただき、トークセッション「大放談‼『市原にアナザーワールドはあるのか』」を開催します。

竹内:はじめまして、竹内公太と申します。福島県のいわき市というところから参りました。福島県の沿岸付近に暮らしながら、いくつかの土地を訪ねて創作活動をしております。福島の沿岸部には、2011年の東日本大震災でダメージを受けた地域がございます。そうしたところで取材をしたり、避難者の方と共同して活動したりしていましたから、復興事業というのが、進みつつも難しい状況を抱えているのを見てきました。それもあってこの市原に来たときに、人口減少といった地域の課題の話は聞くものの、人が住んで、植物や景観を手入れして、その風景を目当てにカメラを携えた人々が観光しに来る様子に、「豊かだな」とじーんと感じたところがございます。そういう空気を吸いながら、市原について調べて、作品という形で恩返しができればと思いながら展覧会を準備しました。

竹内公太さん

前田:私は市原湖畔美術館の仕事をするようになって6年近くになりますが、とても印象深いのが、市原に郷土史家の方たちが多いことです。妄想に近い話も含めて、みなさん本当にいきいきと話してくださる。そういう方たちと繋がれるような展覧会ができないかという思いもあり、竹内さんに参加をお願いしました。松本靖彦さんは、そういった方のお一人です。南市原里山連合の会長で、美術館も大変お世話になり、この地域の方たちにとってはかけがえのない方です。

松本:私が語り出すと、一人で5時間ぐらいになるのではと思いますが、この加茂地区は本当に、日本にとってもアナザーワールドだと思っています。
 前田先生が市原湖畔美術館の館長代理をするようになってから、非常に興味深いアーティストをたくさん連れてきてくれましてね。竹内さんに、「撮った写真を見てくれ」と言われたから、見に来ると、市原にある石造物を歴史に基づいて丹念に取材していて、子どもを抱いた観音様のような子安像がこんなに市原にいっぱいあるのかと驚きました。若い人たちと、おばあちゃんに近い人たちが一緒になって、子育てのことなんかについて話したのが子安講ですが、お嫁に来た人たちが段々と億劫がって、消えていっているんです。馬頭観音は、今ではどこの家にも立派な耕運機がありますが、当時は牛や馬が大変な労働力だったので、土地の人たちは神様並みに大事にしたのでしょう。忠魂碑だけでなく、その対極にあるような子安像や馬頭観音に目を向けて掘り起こしてくれたことに敬意を表しております。

松本靖彦さん

前田:続きまして、高滝の旅館 加茂城の宿主をされている征矢貫造さんです。美術館に関わるアーティストも大変お世話になっています。

征矢:私はもう70歳を超えましたが、高校へ行くために15歳で家を出まして、38歳くらいになって市原に帰ってくるまで、外での生活が長かったんですね。その間に、私の家があった養老町、そしてこの高滝の地形が全く変わってしまいました。今この美術館の前にはダム湖がありますが、このダムがまずありませんでした。ダム湖ができて、そしてこの美術館ができたんです。その後には高速道路が走るようになりました。ここには川が蛇行していて、田んぼもいっぱいありましたが、みんなダムの下に沈みました。
 そういう変化をずっと見てきた中で、近年は高滝にいろいろな人たちが集まるようになり、新たな拠点になりつつあると感じています。

征矢貫造さん

征矢:登壇者の丸房代さんと話していたら、高校の同級生だったということがわかってびっくりしています。彼女は袖ケ浦市の奈良輪出身で、ご結婚を機に養老地区にお住まいです。市原市が創設した「更級日記千年紀文学賞」のエッセイ部門で第1回大賞を獲られた方です。

:ここに嫁いできた時に、義母が私に、自分の娘のようにいろんなことを教えてくれました。その中に子安講というものがありました。義母に連れられて、「今日から私の代わりにこの嫁が入りますので、よろしくお願いします」とみなさんに紹介していただいて、仲間入りをしました。
 そこで見たのは、まず木彫りの子安様です。とても古くて、肩や鼻のあたりがちょっと欠けているような状態でした。お顔を見てもあまり嬉しそうな表情じゃないし、「これが本当に子どもの成長に役立つのかな」と思った記憶があります。もう一つ、子安様が描かれた掛け軸のようなものがあり、そちらは極彩色がきれいに残っていました。お顔も優しい顔をされていたと思います。子安講ではその二つをみんなでうやうやしく拝んで、お家の苦労だとか、いろんな話をしました。最初のうちは何も言えない状態の嫁でしたけれども、段々に図々しくなって、みんなでいろんな情報交換をして過ごした思い出があります。私は3人息子を育てましたけれども、子安様のおかげと思っております。

丸房代さん

前田:三原茂さんは、市原市遺族会の加茂地区支部長を務めてこられ、竹内さんが忠魂碑を調査された時にお世話になりました。

三原:若い人は遺族会が何かがわからないかもしれないですね。第二次世界大戦の時に戦死した家族の集まりです。私の場合は、父の兄が戦死しているので遺族会に入っています。戦死した直系の子どもは、もう加茂地区では4、5人しかおらず、今はほとんど集まっていません。
 私はこのダムの反対側の富山地区に住んでいます。地下の展示作品に忠魂碑の映像が使われていますが、そこでは春と秋のお彼岸の1週間前に手入れをして、慰霊式を行っています。周りの草を刈ったり、木が覆ってきたら小枝を切ったりして、綺麗にしているつもりです。あとは、高滝神社の中にある加茂護国神社で行う慰霊祭も遺族会の仕事です。

三原茂さん

なぜ、路傍の石像にひかれるのか

前田:竹内さんは今回、70カ所以上の石造物を訪ねて撮影をされましたが、路傍にある子安像や馬頭観音といったものに注目された理由をお話しいただけれますか。

竹内:震災をきっかけに、昔のことを伝えている石碑に興味が向くようになりました。ある出来事とか教訓、例えば地震が来て津波が出たらすぐに逃げなきゃいけないということを、どうしたら未来に伝えることができるか。そういうことにいろんな人が注目して、新しいモニュメントが建てられたりしました。その一方で、もしかしたら今、何か別の大切なことを忘れている最中かもしれないと思ったんですね。「忘れない」というスローガンが叫ばれる中で、「なぜ忘れるのだろう」という素朴な疑問があって。住んでいる町の石碑を訪ね歩いた人が本を書いていたので、自分もその真似をして石碑を巡りながら考えてみたりしました。
 しかしそれだけではなくて、好きなんですよね。例えばお寺とか神社とか、堅牢な建物に囲われて保管されている、由緒正しいお宝のような仏像もありますが、道端のものは必ずしもしっかり保護されていない。だけど何かがあったからそこに建てられていて、誰かが拝んでいる。外にある記録の集まりですよね。より我々の生活の近くにあって、風景の中で目に入っているかもしれないんだけど、それが何なのかよくわかっていないわけです。そういう存在が気になってしまうんですよね。
 多分それは、その石は比較的弱い立場にあると言えるかもしれません。不安定な場所に佇んでいるから、今見ないと明日どうなるか分からないものに思えるのかなと。資料を見て、そこに辿り着いて、ちゃんとそこにあるということがわかると、「ああよかった」って安心するというか。それで、ちょっとハマっているようなところですね。

消えゆく子安講

前田:私はそもそも子安像というものを知らなくて。地域ごとのコミュニティの中で作られていたものだと思うのですが、こんなに一つひとつの造形や表情が違うことにすごく驚きました。昨今は都会のお母さま方が孤立してしまって、わざわざセッティングをしないと子育て仲間が集まる機会がないような状況がある中で、子安講という風習は素晴らしいと思いました。
 丸さんが更科日記千年紀文学賞で大賞を受賞されたエッセイ「なの花びより」では、地域に残っている様々な風習に戸惑いながらも、お姑さんからそれを教えていただいて、受け入れて、でもそれを次の世代に伝えることが難しくなっている寂しさについてもお書きになっていますね。

:残念なのですけれども、私の住んでいる地域では、子安講はもう消滅した状態です。それにお嫁さんが来ません。親と同居して暮らす方が私の年齢ぐらいの人たちまではいたかもしれませんが、それ以後の人はほとんどいないのではないでしょうか。この辺りは自然豊かで素晴らしいのですけれども、不便なところもあるので、結婚をするともう少し都市部に住むことが多いです。お嫁さんと姑さんが同居する形が少なくなっているので、それを伝えるということが段々難しくなっていると思います。子安講については自分の地域のことしか知らないので、他の地域で今もやっているのかははっきりわからないですけれども。

会場参加者①:私は長南町から来ました。おそらくうちの部落だけだと思いますが、毎月一回子安講をやっています。ただ、子安講の意味はわかっているような、わかっていないような。子育てについて話す場であることはわかっていますが、今はそういう意味ではなく、隣近所の女性たちがただ集まっておしゃべりをして、お茶を飲んだりしています。私は70代のちょっと手前で、子安講の集まりの中では二番目に若いのですが、お嫁さんがやっぱり来ないので、私の部落でもやがて集まる人がいなくなってしまうのが現状だと思います。

新しい移住者たち

前田:先ほど征矢さんから、新しい方たちがこの辺に住み始めているというお話がありました。それはどういう方たちなのでしょうか。

征矢:養老渓谷の方に、空き家を紹介している開宅舎という会社があります。彼らは加茂地区にある空き家を全部歩いてまわって調べているんです。たくさんある空き家を何とか活用したいという思いで頑張っているんですけれども。開宅舎の紹介で地域外から移り住んできた方たちが30名以上いるという話を聞きました。一人で来られた方もいますし、家族で来られた方たちもいます。
 その中には、こちらでお店を開いたり、様々な活動をされている方がいらっしゃいます。この高滝湖の界隈では、不登校の子どもたちのフリースクールを作った方もいます。いろんな方たちがこの地域に入ってくるようになってきて、それが地域の力に変わってきているのではないかなと感じています。

前田:会場には市原に移住されてきた方たちもいらしています。移住の決め手は何だったのでしょうか。

会場参加者②:僕は宮沢賢治の『農民芸術概論』に影響を受けているのですが、市原だったら「こうなったらいいな」と思う未来の農村を本当に作っていけると感じました。そんな時に、この場所を守っている南市原里山連合会長の松本先生が宮沢賢治の研究をされているという話を聞いて、「やっぱりここだ」と思って移住を決めました。

前田:素晴らしいですね。松本先生は国語の先生ですから。農民芸術論をここで実践されているというか、この場所がイーハトーブなのでしょうか。宮沢賢治も市原のアナザーワールドを語るキーワードかもしれません。
 市原の新しい魅力を掘り起こそうとこの地域で活動されている方々も会場にお見えです。何か最近の“推し”はありますか?

小湊鉄道はアナザーワールド

会場参加者③:新しいというわけではないのですが、やっぱり小湊鉄道ですよね。沿線を綺麗にして、手を入れあうという文化がある。それを活かして、訪れるみなさんに届けられるような地域にしたいですね。小湊鉄道という唯一無二の資源を中心に据えてやっていきたいと思っています。

松本:私たち里山連合の仲間で、小湊鉄道の沿線が好きで移住してきた方が会場に来ています。市原に特別な思いを持っているんですよね。

会場参加者④:市原市ってとても広くて、この加茂地区のことはあまり知らなかったのですが、初めて尋ねた時に、「わあ、市原にこんな取り残された田舎みたいな場所があるんだな」と思ってすごく感動しました。私も宮沢賢治の世界が大好きで、夜に真っ暗な田んぼの中を走っている小湊鉄道を見ると、本当に『銀河鉄道の夜』のように思えることがあります。アナザーワールドだなあと度々感じています。

松本:昔は雑誌に短歌を投稿して掲載されるとその界隈の学生の間で有名になったものですが、私は「駅」という題で短歌を作ったことがあります。「小さな駅の伝言板 そこにかかりし 別離傷心」という歌でした。スマホなんてない時代、駅には伝言板があったんですね。「別離傷心」なんて言葉は今では使われなくなっていますけども、駅というところは人と会ったり別れたりする場所で、そこに様々なロマンが生まれていた。駅や列車、停車場をテーマにした文学もたくさんありました。私の時代はみんな貧乏でしたから、駅に寝泊まりしている乞食みたいな人もいっぱいいたし、駅の近くの交番に助けを求める者がいたりしてね。駅にドラマが生まれる。小湊線の駅には、まだそういうものがあると思います。

デジタル時代のアートの役割

前田:小湊鉄道については、市原湖畔美術館でも昨年、開業100周年を記念して「古往今来・発車オーライ!」という展覧会を開催しました。その際、改めて他のローカル鉄道との違いに気づかされました。朝日新聞で長年鉄道に関するコラムを連載されている政治学者で「鉄学者」の原武史さんに講演に来ていただきましたが、小湊鉄道に若い方たちがたくさん乗っていることに驚かれていました。全国でローカル鉄道が経営危機に直面している中、市原ではアートや文化によって観光列車としての可能性があるとおっしゃっていましたが、それがアナザーワールドを作るのかなという気もいたしますね。
 来年の春には「房総国際芸術祭アート×ミックス」も開催されます。2014年から「いちはらアート×ミックス」が始まり、この美術館はその拠点施設として整備するため、「市原市水と彫刻の丘」をリノベーションして2013年に開館しました。芸術祭を通じてアーティストたちがこの地域の魅力を掘り起こし、発信していく。そして、さまざまな人たちがこちらを訪れ、その魅力に気づいていく。そうした循環のようなものができていると思います。そういう意味で、竹内さんは本当にこの地域の魅力を丁寧に掘り起こしてくださったと思います。

竹内:すでにこの地域で石造物を熱心に調べている方がいらして、自分はその足跡を一部辿っているに過ぎません。神社や管理者の方に寛大な対応をいただいたお陰でもあります。しかし、私が秀でている点が一つあるとすれば、それは「仕事がなくて暇」だということですね。(笑)そこだけが取り柄だと思うんです。だからいろいろ掘り起こすきっかけもある。

前田:それがすごく重要なんですね。私たちはアーティストと仕事をしていますが、そういう人たちがいることが、どれだけ世界を豊かにしてくれていることかと本当に心から思っています。
 今、例えば子どもたちが自殺してしまうような状況がある中で、私はやはり、幼い頃にアーティストに出会ってほしいと強く思います。「こういう人でも生きていけるんだ」ということは、子どもたちに勇気や希望を与えるだろうと思います。

竹内:本当にそう思います。これは真剣な話ですけれど、今は少しデジタル機器を触れば、自分よりお金持ちの子や、足の速い子の存在が見えてしまう。強制的に世界といきなり繋がってしまうんですよね。そうすると、希望の持ち方が私たちが子どもの頃とは違うというか。それはすごく辛いことなんじゃないかなと思うんです。
 先ほど「別離傷心」という言葉がありましたが、今なら「LINEブロック」ですよね。そこに残り香を感じる間もなく、気に入らなければスパッと断絶してしまう。子どもたちは、とてもシビアな世界に生きているんじゃないかなと思いますね。

前田:竹内さんの滞在は、最初は1か月ほどの予定だったんですね。それがどんどん延長していきました。今回の竹内さんの展示は、すべてDIYなんです。最初に入った部屋は暗室になっていますが、あれはご自身で制作されているんです。地下の作品に使われている子安像の写真も、「この光がいい」という時間に何度も足を運んで撮影されているので、平面とは思えないような立体感が出ているんです。それは本当に感動的ですし、見る人は絶対にわかると思います。

竹内:それで言うと、例えば小湊鉄道の飯給駅の菜の花や、忠魂碑のケアをする人たちがいますよね。美術館も収蔵品をずっとケアし続けている場所です。誰かが世話をしたり、見守ったりしているということは、決して当たり前ではないですよね。

前田:三原さんにお伺いします。忠魂碑をケアしていらっしゃる時は、どういうお気持ちなのでしょうか。例えば今は、掃除もロボットでできてしまうじゃないですか。そうではなく、みなさんで掃除をして綺麗にしたり、お花を供えたりすることは、ご自身にとってどういう行為なのでしょうか。
 私は小さい頃、なぜお墓参りをするのかよく分かりませんでした。でも今はその行為が自分にとってすごく意味のあるもののように感じます。癒やされたり、気持ちがすっとしたり。そういう「型」や「儀式」のようなものが重要なのかなと思ったりするのですが。

三原:亡くなった人を偲んで仕事をしていると言ったら嘘です。忠魂碑の建っているところは本当に狭いんです。空間が少ないから手作業でやるしかないというのが本当の理由ですね。皆さんどう考えてやっているかと言ったら、あまり考えてないと思います。でも確かに線香をあげるときは、昔のことや亡くなった人のことを考える。自分の家のお墓に線香をあげる時は先祖のことを考えると思いますが、遺族会にとって、忠魂碑には自分の親族も眠っているわけです。ですから忠魂碑に線香をあげる時には、先祖に対して心を安らかにするような気持ちはありますね。

なぜ、戦争の記憶を追いかけるのか

前田:竹内さんは、第二次世界大戦の時に日本から太平洋を渡った風船爆弾という兵器について調査して作品を発表されています。そういった戦争の記憶を辿っていらっしゃるのはどうしてでしょうか。

竹内:ドローンのように、遠隔技術を使って地球の裏側を攻撃して、「間違えました。民間人のことを誤って殺してしまいました」というようなことが繰り返されていますよね。それが「インテリジェント・ウェポン」と言われていることを、全くおかしいと思っているんです。情報化社会でみんなが繋がれますって言っているけど、相互に喧嘩して無茶苦茶なことになったり、原発事故後の情報の混乱や、差別的で心無い言葉の応酬が現実世界に生きている人たちにも波及しているのを見聞きして、頭を抱えていたんですね。
 風船爆弾というのは、相手のことを見ないで攻撃する。そこに何か本質的なことがある気がしました。普段はヘラヘラしていますけど、本当はイライラもしているんです。ムキになって、「俺は風船爆弾の飛んだ先を見てやろう」と思っているんですね。見る、知るということで、技術というものに対して復讐をしてやる。そんな気持ちでいました。
 しかもそれは、上の世代の戦争加害の問題でもあります。被害を受けたことはもちろん伝えていかないといけないけれど、加害についてどうやって語るか。私は偉そうなことなんて言えないですが、どの国の人も自国の加害について語れるような時代になれば、もう少しマシになるんじゃないかと思うんです。そういう新しい方法を、芸術の方も見て探れないかなと思っているんです。去年台湾に行った時も、日本の占領によって虐殺された人たちの子孫、あるいは占領期のことを覚えている、未だに日本語を話せてしまう方にお会いしてお話を聞いたりしました。そういうことにマスクして見る風景と、知った上でもう一度見る日常風景って、美しさや鮮やかさ一つとっても違ってくると僕は思っているんですね。

わたしのアナザーワールド

前田:まさに美術館もそういう存在でありたいなと思っています。最後に、「市原にアナザーワールドはあるのか」というのが今回の座談会のテーマですけれども、私たちが普段見過ごしてしまっている、アナザーワールドとしての市原についてみなさんにご発言いただけると嬉しいです。

松本:私のアナザーワールドは、飯給駅の周辺です。政治や経済のようなものとは無縁の素晴らしい社会がある。これからもっと移住者が増えてくると思いますよ。
 私がこの美術館に期待しているのは、旅の途中でふと立ち寄れる美術館であること。そうした旅先の出会いによって、もう少しみんなが自然に目を向けたり、自分たちの歩んできた歴史に目を向けたりすることが多くなれば、争いとかね、ただお金が中心の社会ではないものができていくんだろうと思います。
 ここにいらっしゃる方は、竹内さんの作品を見ていろんなことを感じていると思いますが、感じ足りない方にはこの地域の草刈りがありますから。草刈りに参加した時は本当に、「生きている」と実感するというかね。こういうアナザーワールドが世の中にあるんだってことをもっと強烈に感じられるんじゃないかと思います。

征矢:私にとってのアナザーワールドというのは、やっぱりこの地域の“人”じゃないかなと思います。いろんな人と出会う機会が多くなりました。高滝には協議会があるのですが、そこに埼玉から来て、地域のトイレを綺麗にしようと活動している方がいます。魅力的な人たちがこの加茂地区にはどんどん増えてきている。これは私にとって一番のアナザーワールドになっています。
 そして今回、竹内さんの作品を拝見して、私たちも知らなかった子安像や三面馬頭観音を非常に美しいと思いました。あんなに綺麗で表情豊かなものがこの地域にあることを発見して、本当に感激しました。それを私たちに見せてくれた竹内さんに感謝しています。

:お嫁に来る方もいないし、子どもたちも出ていってしまうという話をしましたが、もしかしたらまたいつの日かここに帰ってくるかもしれない。私たちには、それまでこの地域を守っていく役目もあるのかなと、今は思っています。人が少なくなっているからダメと言うのではなくて、今ここに住んでいる私たちがもっとこの市原を好きになって、誇りに思うということ。それが大事なことなのかな。竹内さんが私たちの知らない市原を発見させてくださったように、私たちもいろんなものをここで発見して、少しでも残していく努力をしていきたいと今日感じました。

三原:先ほど松本先生から草刈りの話が出ましたけれども、私はその草刈りをする時に、特製のカレーを作っています。そのカレーをほめてくれるとアナザーワールドになります。(笑)

竹内:僕もこの間、(福島で)草刈りしてきました。……カレーが食べたくなってきましたね。この展覧会の用意をしている時に、それこそ何も考えずに手を動かして、足を動かしているような時間がありました。身体から感じる異質な感触、それをもってアナザーワールドとするのは、なかなかいいんじゃないかと思いました。企画展のお題として「アナザーワールド」と言われた時、最初は「何を言っているんだ、現実世界に生きているんだろう」と思ってずっと戸惑っていたのですが、今ちょっとだけ心が動いちゃいましたね。

前田:お題に見事に答えてくださってありがとうございました。今日はご登壇いただいたみなさま、そして会場のみなさまとよい時間を過ごさせていただきました。どうもありがとうございました。