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オンラインでのアフタートークの様子

映画上映会『セノーテ』(小田香監督)

レポート2021.08.04
8月1日(日)に、映画上映会『セノーテ』(小田香監督)を12:30~と15:00~の2回開催しました。映画の上映終了後には、監督を務めた小田香さんとオンラインでつなぎ、まずは、小田さんから『セノーテ』についてお話いただき、その後、会場にいらした方々からの質問などにお答えいただきました。その時のお話の内容をまとめてお届けします。

■『セノーテ』の誕生について

サラエボにあるfilm.factoryという大学院に通っていたときに、マルタというメキシコ人のクラスメイトと、卒業してから次に何を撮影するかと話をしていました。私は、すでに、サラエボの炭鉱を、かなり深い地下に潜って撮影していました。次は水を撮りたいと、その時にぼやっと話をしていました。それぞれの国に帰国してからしばらく経って、マルタが、水を撮りたいという話を覚えてくれていて、地下と水という繋がりで、メキシコにセノーテという地下洞があると教えてくれました。
お金がなくてすぐには行けなかったのですが、1年くらいお互いにお金をためて、私が監督、マルタがメインのプロデューサーという形で、3年間で3回、それぞれが約1か月間の滞在でリサーチをしました。
その中で、セノーテを50カ所くらい見て回り、現地の方にお話を聞いたり、取材をしたりしてこの作品が生まれた。

【会場からのご質問】

■なぜ、ボスニアヘルツェゴビナで映像の勉強をしていたのでしょうか。

特に、サラエボであったり、旧ユーゴ圏に元々興味があったわけではなく、私が尊敬するハンガリー人のタル・ベーラという映画監督が主宰する映画学校があったからです。『ニーチェの馬』という作品を引退作として発表し、2010年ごろに引退した監督です。彼は元々ベルリンで教えていたのですが、新しい映画学校をしがらみのない場所で作りたいというアイデアがあって、たまたまそれが実現できた私学がサラエボにあったということです。内戦の傷を抱えながらかとは思いますが、皆さん普通に生活しています。

■メキシコの人にとって、死とは、どのように受け止められているのでしょうか。日本人よりも身近に感じているのではと思いました。

日本で生まれ育った私から見た、少ないながらの経験からの、メキシコ人の死という意見なのですが。
日本で誰かが死んだり、死を扱うとなると、どうしても、穢れやなんだか忌まわしいものだったりというイメージがあるのかなと感じます。
メキシコの人たちにとっての死は、穢れではない、プラス、生と死の距離が近い。「死者の日」という日本でいうお盆のようなものがあるのですが、その死者の日も多くの地域では華やかだし、もっと死に対してリラックスしているというイメージを受けました。

■小田さんが受けたメキシコでの衝撃はなんですか。

だいたい毎日何かしらに衝撃を受けていました。
主にユカタン半島で撮影をしていたのですが、どこに宿泊しても暖かいシャワーが浴びられないというのが衝撃だったし、ユカタン半島出身の子に聞いたら、お湯で体を洗うこと自体が少ないこと...だったことでしょうか。

■マヤの演劇から撮った部分と、実際のインタビューの部分の構成について教えてください。

取材の中でお話していただいて録音した声と、撮影が終わった後に自分が体験したこと、見聞きしたことをまとめるために書いた詩のようなものをマヤ語が話せる女の子に朗読してもらったものがあります。取材の方はスペイン語なのですが、それは、セノーテのことや現地の人の暮らしのことを聞いていました。
カメラも回っています。よく見るバストアップのイメージは撮りためて行って、イメージは使わなくても、お話の一部分、一部分を自分が取捨選択して、編集の中で一つの物語が浮かび上がればいいなと思ってつなげてます。

マヤ語の女の子のセリフは、色んな文献を読んだり、お話を聞いたりする中ででてきた言葉です。何かセノーテという、ある種実験的なドキュメンタリーを1本化する軸が欲しいなとずっと思っていました。
そして、この映画の語り手がだれになり得るのかというのは、ずっと考えていました。
泉に沈んだ女の子・・・たちだけではないのですが実際は、死者もしくは精霊という目線で何か書けないかなと思い、テキストを書いています。

プラス、最後に男性の声で、マヤの方たちが実際に今も、伝統を伝えるためにやっている劇からとったセリフがあるのですが、実際にその劇の中で演じる男性に出会って、その時は録音していなかったのですが、意味を後々知って、録音させてもらうために再訪しました。

どこに何がくるか、どのイメージにどのテキストがくるかは、実際に編集の時にコラージュする形で作っていきました。

■撮影しているときは、完成は見えてるのでしょうか。

全く見えていません。セノーテに限らず、自分の撮影スタイルとして、ゴールを決めずに発進してやれるところまでやろうという撮影スタイルです。さっき、ドキュメンタリーと言いましたが、私自身の意見としては、ドキュメンタリーとフィクション、劇映画というのは明確には分けてはいません。ただ、脚本が元々あったわけではないという意味で、ドキュメンタリーという言葉を使っています。

■これでいけると思った瞬間はありましたか。

セノーテにおいては2ヶ所ありました。
一つは、終盤に出てくる、ずっと暗い穴に入っていって、魚をずっと、2周くらい追っているショットが撮れたとき。もう一つが、マヤの伝統を伝えるための演劇で、ご自身のセリフを引用してくださった男性に出会ったときです。
両方とも3度目のリサーチだったのですが、この時に、もしかしたら、1本に纏められるかなと思いました。

■どんなカメラを使って、サウンドをどのように撮って、編集でどういう意図をもって繋いだのでしょうか。

使用しているカメラについて:
この撮影では4台使っていて、メインで使っているのは2台。水中を主に撮影しているのは、iPhone 7プラス。水面を撮るときはそのままで、水中を撮影するときは防水の箱に入れて撮影していました。地上では、8ミリを使いました。シングル8、フジが昔出してたやつを、今もフィルムを販売しているレトロさんという会社からフィルムを買って、現像もお願いして、というプロセスでやりました。
他の2台は、水中用の8ミリだったり、闘牛のシークエンスは、5Dで撮りました。

サウンドについて:
水中はiPhoneの同時録音のものを使いました。私たちは4~5人のチームで活動していたのですが、なんでもできるスタッフ、私の助手のような人がいて、その人の手が空いているときは、TASCAMというすごく小さな録音機を使って、フィールドレコーディングという形で現地の音を集めてもらいました。

編集について:
現場にいるときは、私はカメラをしているので、どのように撮れたのかは確認できないのですが、取材で伺ったお話が書き起こしされたものや音を日本で確認して、毎回リサーチの度に20~30分のまとめの映像を作っていました。3回目のリサーチが終わった後に、一回全てをばらして、自分が体験したものは何だったんだろうということを考え直して、まずはイメージ、次にサウンドデザイン、その次に声・テキストをはめていった感じです。
最初から地図のようなものがあったわけではなく、編集しているタイムライン上でコラージュみたいなパズルみたいな形で試行錯誤しながら編集していきました。

■撮影中にどこに行っちゃうんだろうみたいな、どんな気持ちで撮影してましたか。

常に何を撮っているのか不安でした。
というのも、撮影段階で地図がない、なんだかわからないけども、好きだったり、惹かれるものだったり、もしくは不快に感じるもの、それは自分にとっては、闘牛のシークエンスだったのですが、でも、おさめたい、撮りたいという気持ちが出たものを撮影しました。
私はこういう(水中での)撮影をしてますが、タンクだったりライフジャケットがないと泳げません。泳ぎは今も下手でかなづちなのですが、ダイビングをするときとかは、すごく怖くて、事故が起きたら大変なことになるので、ビビりながら撮影してました。
ただ、魚だったり、水の動きだったり、何かしら自分を導くものが目の前にあって、それを受けて、反応していったという感じです。

■劇中にあるナレーションで、「飛び込んだ」という表現がいくつかあったのですが、それは、自分の意思でなのか、アクシデントで落ちてしまったのかがわからないようになっているのが不思議で、それはどいう感じだったのでしょうか。

書き起こしを英語で読んでいて、原文はスペイン語ですが、スペイン語の方は正直じぶんは分かりません。
皆さんの話し方では、どちらでもとれるような話し方をしていました。
というのは、実際に自分が見たというわけではなく、又聞きの又聞きの伝説なので、その女性が自分の意思で飛び込んだのかもしれないし、なにかしらの力が働いて落とされたのかもしれない。半々の意味合いだと私は思っています。

■パンフレットに生贄として投げ込まれた泉に入ったことがあると書かれていたのですが、その時の思い出を聞きたいです。

ひとつ、ご家庭の裏にある井戸がそのままセノーテにつながっているところがあって、小さいセノーテがそのまま井戸になっているところがあって、そこにも入らせてもらいました。
5mくらい急な階段があって、階段を下りて水に降りる前の3mくらい先に小さい踊り場があって、そこから小さい子どもが落とされていたと、そのご家庭の方から話を聞いて。ものすごく怖かったのですが、でも、入らせてもらって体験しないとという気持ちもあって、まずは私一人で入りました。そこのセノーテは井戸なので、光源がほぼなく、すぐに音を上げて、友人に入ってきてもらいました。5分くらい、泳ぐでもなく、潜るでもなく、その水の中にいただけで、すぐ上がったことを覚えてます。

本当に怖い時は、その時にはあまりその話はできなくて、夜や翌日になって、あれはやっぱり怖すぎたとなりました。幽霊とかそういう怖さではなく、そのセノーテは、自分が属していない世界という肌感覚がありました。

■小説から影響を受けたと書いてあったのですが、どういう映画を見ていたら、セノーテのような映画がつくれるのでしょうか。好きな映画について教えてください。

自分が影響を受けた映画は、たくさんあるのですが、どちらかというと、文字とかテキストに影響を受けてる気がします。

ル・クレジオという人がいるのですが、彼が書いたマヤの神話でチラム・バラムの予言だったかな、そういう本があるのですが、彼がそれを翻訳していて。

その序文で、「自分たちがマヤの人たちを見ているのではない、実際には逆で、私たちがマヤの人たちに見られているんだよという」意味合いの文章があって、それは、自分が編集しているときにずっと感じてたことなのかもしれないな、とちょっと前に思っていました。

映画はたくさんあるのでパスしておきます。

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